関西燧会行事の“平城宮跡公園ハイキング”が11月15日に行われました。
2022年11月27日
関西燧会行事の“平城宮跡公園ハイキング”が11月15日に行われました。
11月15日(火)、2019年の「山の辺の道ハイキング」以来3年ぶりの行事が行われました。快晴の秋晴れで絶好のハイキング日和の中、ガイドは今回も5年前の奈良観光でお世話になった木原明彦さん(機械工学科1期生)にお願いしました。
橋本会長の挨拶後、総勢18名で10時過ぎにスタートとなりました。平城宮跡資料館で平城京の全体規模及びその中の平城宮の概要についての説明を受けました。平城京は710年に藤原京(橿原市)より移されましたが、藤原京と同じく唐の長安をモデルに設計されたとのことで、南北約5㎞、東西約6㎞、中央に朱雀大路が通り、東西を9条、南北をそれぞれ4坊にと碁盤目に仕切られていたとのこと。この資料館には平城宮の面影を知る痕跡となる木簡が展示されていました。よくぞ1300年を超えても残っていたものです。土壌の環境がよほどよかったのでしょう。
次に第1次大極殿です。平成22年に復元された平城京の起点となる建物で、天皇の儀式に使われる高御座(たかみくら)が置かれておりました。大極殿からの眺望は、右手に生駒山、左手に若草山が見え、昔は正面遠くに大和三山も見渡せたとのこと。
次は遺構展示館です。平城宮跡の発掘調査は掘っては埋め戻すことの繰り返しのようですが、ここは発掘したままを保存しており、地下1m強には柱跡や石を並べた溝のようなものが展示されていました。発掘作業の大変さを感じました。
次は東院庭園です。平城宮の東に張り出した位置にあり、今でいう迎賓館のようだったとのこと。庭園も前期は大陸風で後期は平安時代にみるような日本的な庭園に移行していったとのことです。
そろそろ腹も減り疲れも出たところで昼食休憩となりましたが、永田ご夫婦にお弁当のお世話をおかけしました。誠にありがとうございました。
昼食後朝堂院跡を歩き朱雀門を目指しました。途中の世間話で“院”とは何かの話になったところで、ガイドの木原さんから「”院“とは塀に囲まれた場所」との説明を受け、目のうろこがまた1枚剥がれました。例えば、正倉院は建屋と思っていましたが、実は校倉造りの建屋群を囲んだ塀内の地域のことを指すとのことでした。
季節柄、空き地には白い穂をなびかせた「おぎ(ススキと似ている)の群生」があり、その中に今だけの美術館が開設されていました。奈良在住の私も初めて知りましたが、額縁見立ての木組みもあり写真映えの場所です。そこで集合写真を撮り終え朱雀門へと移りました。
平城宮の玄関口となる朱雀門は、平成10年に復元された5間3門2重屋根の立派な門です。ちなみに平城宮の門は12あったとのことですが、復元できているのはこの朱雀門だけです。
その後天平みはらし館で平城宮跡のビデオ鑑賞の後、遣唐使船を見学し午後3時前に藤本副会長の挨拶後解散となりました。私で歩数1万3千歩のハイキングでした。
平城宮跡の復元にはけた外れの作業規模が必要で、またその進捗は、国の予算の付き具合にもよりそうです。我々は最終の姿は見られません、想像の世界で終わりそうです。近鉄電車が平城宮内で見られなくなるのもいつでしょうか。
最後に、第一回の奈良観光に続き木原さんには判り易いガイドをしていただき、ありがとうございました。参加者は感謝し満足して帰路につきました。各方面より多数のご参加ありがとうございました。
以上
(堀川定記)