万葉カレンダー創作活動のご紹介
2019年12月6日
先日(11/7)の“大和いにしえの山の辺の道ハイキング”で万葉集歌碑の解説をされた鴻上修氏(38C)の万葉カレンダー創作活動についてご紹介します。鴻上氏は写真撮影を趣味にされておりますが万葉集にも造詣が深く、1300年前に詠まれた万葉集の歌がどのような情景下で詠まれたかを推測して、万葉歌と古社寺、大和の山々、伝統行事等を撮影すると言うテーマの活動をされています。さらに万葉歌+写真+暦を組み合わせたカレンダーを創作されております。今回はその詳しい内容をご紹介します。ご興味のある方は鴻上さん宛にメールにてご連絡下さい。 (又は、“関西燧会へのお問い合わせ”からご連絡下さい)
※万葉カレンダー創作活動について 鴻上修 記
1.万葉集との出会い
私は中学校の関西の修学旅行で古き良き時代が残る奈良に魅せられ、将来はこの地に住もうと心に決めていた。このため、高専卒業後には奈良から通える会社に就職した。会社ではその頃では珍しい週休二日制が始まっていて、持て余し気味の時間に近くの公民館で万葉集の講座を受けたのが出会いである。後に知ったのだがその講師は高名な万葉学者で、講義がわかりやすく聞けば聞くほど現代に通じるその新鮮さに深入りすることになった。
-万葉集の魅力-
万葉集は1300年前に作られたが、その言葉は現在我々が使っている言葉とほぼ同じで、何回も読んでいると万葉時代の心情や情景が自然に頭に浮かび上がってくる。ましてや歌を詠った故地を訪れれば1300年前にタイムスリップすることができ、日本人の“心のふるさと”にたどり着くことができる。私が万葉集に魅せられてやまない理由はここにある。
2.万葉カレンダー創作のきっかけ
その後、福島県郡山市に転勤になり、地域の学校の先生や会社員の人から、奈良に住んでいたならば奈良の歴史や万葉集を講義してほしいと言われ、月1回10人ほどの万葉教室が始まった。万葉集の多くは奈良に関する歌が多いが、東北の人達は京都に来ることはあっても、奈良やましてや明日香や吉野に来るチャンスはほとんどない。それならばと、もうひとつの趣味であるカメラを持ち長期連休に車で万葉故地を回り、撮影した写真を用いて歌の講義を始めた。更にそれをカレンダーにすれば、1ヶ月間万葉歌とそれを詠った場所の写真を見ることができ、より理解が深まるのではと考え、2009年(平成21年)に最初の万葉カレンダーの発行に至った。
3.万葉カレンダー創作の状況
2011年(平成23年)定年とともに再び奈良に移住したが、郡山の人達にはその後も毎年カレンダーを送り続けている。間もなくして、このカレンダーが郡山NHKカルチャーセンター万葉教室の講師の目にとまり、教材のひとつとして使うのでカレンダーを作ってほしいとの要望があり、引き受けることにした。その条件の一つは講師の先生が万葉歌を選ぶのでそれに合わせた写真を組み合わせてほしいとのことであった。 そのためにはどんな歌にでも対応できるよう写真の取り置きが必要であり、奈良の各地だけではなく九州太宰府や富山県高岡など万葉歌が詠まれた故地を旅行し、撮影を重ねてきた。また、春夏秋冬の情景や伝統行事などの折には、時間が許す限り晴天、雨天、朝から晩まで出歩き撮影を続け、現在数万枚の写真の保有に至っている。この写真を使った万葉カレンダーは郡山NHK教室から好評をいただき、毎年75部の注文を頂いている。
奈良に戻ってから、奈良女子大卒の万葉講師の講義を受けており、その講師からも同じやり方で歌をもらい、それに合う写真を組み合わせてカレンダーを作っている。女性講師の故、歌は女性らしく優しく清々しくわかりやすいため、奈良県在住の燧会や写真同好会メンバー、あるいは近所に無理やり配布など、現在約30部を作っている。また、懇意にしている明日香の犬養万葉記念館に毎年カレンダーを進呈して“いいね!”をもらっている。
4.令和の時代は万葉の時代
令和の元号は万葉集梅花の歌32首の序文から引用されており、その序文は「楽しく生きるための新たな出発」のためにみんなで梅花の歌を詠おうと大伴旅人が呼びかけ、大宰府の役人達が32首詠いあげたことに由来する。来年1月の暦にはこの令和の歌と写真を取り上げた。今後はこの万葉カレンダーをさらに良いものにして、一人でも多くの人に万葉集の魅力を伝えていきたいと考えている。
以上