関西燧会行事の“山の辺の道ハイキング”が11月7日に行われました。
2019年11月15日
関西燧会行事の“山の辺の道ハイキング”が11月7日に行われました。
心配していた天気も快晴となり、総勢23名が天理駅前に集合し、橋本会長のあいさつの後、上田さん(38?)先導で10時過ぎにスタートとなりました。アーケードの商店街を通り天理教本部および天理大学の御殿のようなたたずまいの間を抜け石上(いそのかみ)神宮へ向かいました。
石上神宮は物部氏の総氏神で日本最古の神社のひとつです。参道には鶏が放し飼いで、厳かで気持ち安らぐ雰囲気の場所となっていました。次の歌碑があり鴻上さん(38?)の万葉集解説のスタートとなりました。万葉仮名の碑文を、当時の状況と共に軽妙な口調でユーモアを交え判りやすく説明を受けました。
娘子らが 袖布留山の瑞垣の 久しき時ゆ 思ひきわれは 柿本人麻呂
ここから山の辺の道に入り、途中の道端に歌碑がありました。
さとはあれて 人はふりにし やどなれや 庭もまがきも 秋ののらなる
僧正 遍照
内山永久寺跡は、明治の廃仏毀釈で当時の面影はなくただ池が残っている状態です。創設時は大和で4番目に大きな寺であったとのことですが、名前の永久とはいかなかったようで、又国宝級文化財も流出してしまったとのことです。入口に句碑があります。
うち山や とぎましらずの 桜かな 松尾芭蕉
道は小さい峠の石畳がある坂道になりました。降りたところに天理観光農園があり、丁度12時ごろとなり、庭先を借りて昼食休憩としました。
昼食後の道は眺望良好となり、大和盆地の先には大阪府との境となる生駒山、二上山、葛城山、金剛山が現れてきました。山麓を通る山の辺の道の1つの見所です。
月待ちて 峰越へけりと 聞くままに あはれよふかき はつかりの声
十市遠忠(戦国時代 大和の国の城主)
夜都伎(やとぎ)神社に立ち寄りました。白馬に乗った昭和天皇が、鳥居前で撮った写真が飾られていました。(某国ではありません)
“これぞ山の辺”と思うほどののどかな小道が続き、道端には可憐な花や収穫時期を迎えた柿が鈴なりのところもありました。道端の無人販売所で柿を購入する人もいました。柿本人麻呂は、この近くに居住していたとのことで、多くの歌碑が点在しています。
あしひきの 山川の瀬の 響るなへに 弓月が嶽に 雲たち渡る 柿本人麻呂
小道は、古墳の地域に入って来ました。古墳、文化財を勉強されている奥村さん(42?)より、古墳を詳細に解説して頂きました。天皇家や豪族をお祀りしているが、祀っていると思われる人の位により管理状態もまちまちの状態であるとのことです。因みに道端の西山塚古墳は後円部分がミカン山になっていました。まだまだ文献も乏しく、未解明の古墳がたくさんあるとのことです。今回のハイキングコースだけでも、西山古墳、西乗鞍古墳、東乗鞍古墳、東殿塚古墳、西殿塚古墳、西山塚古墳、衾田陵が点在していました。
衾田陵へは坂道で遠廻りになるため避けて、大和神社御旅所を通る近道を行き、ほどなく休憩所にて一服しました。ここに有る歌碑が次の通りです。
衾路を 引手の山に 妹を置きて 山路を行けば 生けりともなし 柿本人麻呂
この休憩中に鴻上さん作成の万葉集カレンダーの紹介があり、歌の内容や季節にマッチした写真との組み合わせが素晴らしいものになっていました。“この素晴らしい感性はどこで培われましたか”の質問に対し、鴻上さん曰く“もともと素養がありました”と満面の笑み。このカレンダー作成のいきさつについては別途HPで紹介されます。
次に長岳寺に向かいました。長岳寺は、紅葉の名所ですが、今年は暖かくて残念ながらまだ紅葉はしていませんでした。重要文化財の仏像と共に、狩野山楽の大地獄絵が展示されていました。
山門前の休憩所で一服した後黒塚古墳に向かいました。
奥村さんの研究材料でもあった黒塚古墳の近くには展示館があり、その内部には棺が入っていた部分の実寸大古墳内部のレプリカが展示されていました。又出土した多数の三角縁神獣鏡のレプリカも同時に展示されていました。この古墳は珍しく内部が荒らされてなく残っていたようで、奥村さんより詳細な説明を受けました。
今回は、遠方高松市からの参加者も含め23名でのハイキングとなりました。天気は1週間前からチェックをしていましたが、参加者の熱意に負けたのか、“曇り一時雨”から“曇り時々晴れ”の予報でした。当日はスタート時が快晴で、ひと汗かいた頃より薄曇りとなり、ハイキングには最高の天気となりました。一方、万葉集の鴻上さん、古墳研究の奥村さん両氏の解説により、今回のハイキングがただの歩くだけでなく充実した内容の濃いいものになりました。両氏に感謝感謝です。ありがとうございました。
終着点はJR柳本駅で、予定より若干遅れましたが、用意していたリタイヤルートも使わず、午後3時半頃全員無事に到着することができました。
最後に藤本副会長の御礼の言葉で終了となり帰途につきました。
(堀川 定記)